野球日本代表には環境の違いに適応、対応する力が必要だった
1992年バルセロナ五輪・日本代表監督の山中正竹さん〔佐伯鶴城⇒法政大学⇒住友金属⇒法政大学監督⇒横浜ベイスターズ専務⇒侍ジャパン強化委員会強化委員長⇒全日本野球協会会長、2016年野球殿堂入り〕は、社会人・大学のトップクラスの選手たちが、世界で勝つためには、選手も指導者も成長する必要があると考えた。「ここは日本ではない。海外では何が起きても不思議ではない」と伝えたという。環境の違いを言い訳にせず、受容し、最高のパフォーマンスを発揮することが求められるのだと説いた。野球という競技は、パワーや技術、体力はもちろん、あらゆる環境に適応、対応する力も含めた総合力が必要だと力説した。たとえば、試合当日のバスが定刻通りに来ない。試合前の練習時間が短縮される。グラウンドが石ころだらけ。審判員のストライクゾーンが違う。こうした違いに日本の選手たちは気を取られがちだったという。
山中さんは、海外遠征には選手に梅干しやカップ麺など日本食の持参を禁止した。国際試合では、仲間や相手、審判員を認めた上で激しくぶつかり合い、最大限のパフォーマンスをする。勝っても負けても、お互いが称え合い、認め合う。そのためには学びが必要であり。それが適応力、対応力にもつながる、という。日本代表として勝つためには何をすべきかと突き詰めていくと、次から次へと課題が浮かび上がる。こうして際限なく与えられる「学びの場」を大切にされる山中さんに、久しぶりにお会いしてお話をじっくりお伺いしたい。
蛭間俊之