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「戦後初」1番打者の黒田脩さん

 読売新聞大阪本社元社会部長・黒田清さんがご逝去されて20年、鋭い視点でコメントを発して、テレビでも馴染みの親しめる記者だった。その清さんの実兄・脩さんが8月31日にご逝去された。1946年の全国中等学校優勝大会〔西宮球場〕の開幕戦で、京都二中〔鳥羽高校が継承校〕の1番打者で、千葉・成田中〔成田高校〕相手に打席に立ち、四球を選んで出塁された。青空に真夏の太陽の下、まぶしいくらいの白いシャツで埋まった満員のスタンドの熱気に包まれ、「野球ができる国になった、平和がやっと訪れた日本の初打席」と報道された。同志社大学でもご活躍され、大学硬式野球部OB会長や関西六大学野球連盟〔関西学生野球連盟〕の理事長も務められた。

 「何か起きれば、また高校野球ができなくなる。平和を守らんといけません」という貴重な遺言を守っていきたい。

蛭間俊之